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皆さん、今日は。ご紹介いただきましたチェ・サンヨンです。 今日ABKアジア学生文化協会45周年記念式・故穂積五一先生の生誕100年記念式にご招待頂きまして、本当に光栄に思っております。特に元在館生の私としては、皆さんにお会いできたことは、感無量でございます。先ほどご紹介の通り、私は1965年から約7年間、日本で勉強しました。その間3年たらずかな、ABKで生活いたしました。それ以来約35年間ABKとの交流を続けてまいりました。 今、私はここで故穂積先生のことを思い出さざるを得ません。今考えて見ますと先生は深い歴史認識を持って、その歴史認識に基づいた静かな実践を一貫してこられたと思います。自分の国を愛することと、他国、特にアジアの人とアジアの国を愛することが共存できるということを、身をもって実践した人でした。本当に先生は偉大な人間であり素晴らしい日本人でした。アジアの人からこれほど心から尊敬されている日本人が他にいたでしょうか。 私は先生とはそれほど長く討論をしたことはございません。たゞ、私の感触では、本当に相手、他国、他人への配慮の深い人であったと、今思い出しております。私にとっての日本は恩師の国であり友人の国でもあります。私はアメリカ・ヨーロッパ、世界のいろんな国で研究をし、また旅行してきましたし、世界中に広範にわたって友人を持っていますが、ABKの職員を含めた皆さんは私の友人の中の友人だと思います。今日私は、長年ABKを一途に支援してくださった寄付者を中心とした皆様、それから、本当に使命感を持って献身的に働いておられるABKの職員の皆さんに、元在館生の一人として、心から御礼を申し上げます。特に私の後輩に当たります何人かの在館生、留学生にお会いできて本当に嬉しく思っております。 本題に入りますが、今日は、できるだけ学問の話・政治の話はしないようにと言われましたので、二度にわたる日本体験ということで、留学生時代の体験と大使2年間のエピソードを混ぜて、私の感想をこれから述べてみたいと思います。 1965年、当時、韓国の青年にとって、留学先は95%以上がアメリカでした。私もアメリカの優秀な大学から入学許可をもらっていました。しかし、私が日本を選んだ理由は2つあります。1つは、皆様ご存知のように日本は戦後マッカーサーの下で約7年間の被占領の経験があります。韓国はそのマッカーサーの指令において、ホッジという将軍の下での占領政策が行われました。戦後日本、戦後韓国の歩んだ道を考えた場合7年間の日本の占領、3年間の韓国の占領の中身が非常に注目に値する、これを比較してみようということが私の問題意識でした。その研究をするためには日本が一番ふさわしいと。当時はまだアメリカではマッカーシーというか、非常に右派の風が強かったものですから、左右を超えた客観的な研究をするには、アメリカよりは日本が適切であるという判断でした。 2番目は、日本は100年前も五大列強に入るほどの大きな国でした。国民・民衆の生活はそれほどでもなかったんですけれども、国のレベルでは100年来、日本は大国でした。その意味で隣国の青年として日本を知るということは不可欠なことだと思ったのです。当時韓国では、親日か反日かという論争がありました。親日という言葉は特殊語です。韓国では非常に悪い言葉なんです。これは辞典にある一般の用語じゃなくて、歴史的に制限された言葉なんです。親日派イクオール悪人、ということになります。韓国のリーダーはほとんど反日の英雄でした。それで反日と親日がまったく二分法的に考えられてきたのです。そこで私は出来るだけ、親日か反日かという論争以前にまず日本を知ろうじゃないか。知日が必要であると。日本を知るためには日本の本場に行かなければならないという問題意識がありました。このような二つの理由で私は95%のアメリカ選択を避けて、留学先に日本を選んだのであります。日本を選んでよかったと思います。大使までしたのですから。(笑) 今日本には約1万5千の韓国の留学生が来ています。皆さん、こういう若い青少年を大事にしてください。彼らは、いわば、窮乏・欠乏・貧困を知らない世代です。ほとんど私費で日本に来ている留学生なんです。私費で日本に留学できる階層はアッパー・ミドルクラスです。しかし、彼らが最初に日本に定着するとき、下宿を探すのにいまだに苦労しているということを、私は大使在任中にも聞いております。留学生は日本にとっても大事な人的な資産です。彼らは帰ってからは、何らかの形で日本を弁護します。アメリカ帰りの留学生との目に見えない競争もあるんです。そういう、日本のPR、日本のよさを弁護できる青少年が今1万5千人ここにいますから、生活文化の違いで面倒くさいこともあるでしょうけれども、彼らを大事にしてください。これはABKには言いません。ABKは半世紀以上も前から、使命感を持ってアジア人との友情を深めてきた機関でございます。私はABK以外の一般の日本人・日本の市民に訴えたいと思います。それは日本での最初のメモリーですから。自分がお金を出して下宿を探すのに問題がある。これは悪い思い出です。結局彼らは、主任教授とか、田井さんのような立派な方の推薦でようやく定着します。彼らは5年乃至10年間勉強して帰って、これからのリーダーになる韓国の青少年ですから、よい思い出を与えるほうが日本にとっても良いじゃないでしょうか。韓国にも、数は少ないですけれども日本の留学生がいますが、そういう例は殆んどございません。日本の留学生の下宿は、大歓迎されています。 1万5千人の留学生のことで一言触れましたけれども、私は、故佐藤清三郎先生が、「世界的な社会科学者であれば日本を知るべきである。そして、日本のまともな社会科学者であれば、韓国を知るべきである」ということを仰ったことを、いまだにハッキリ覚えております。故佐藤先生は自ら実践しました。一人息子を韓国に留学させました。自分の主張どおり実践したのです。私は、その話を今も忘れられません。そういう意味で、日本は本当に研究に値する立派な国だと、いまだに私は思っております。それで日本留学を選択したことを私なりに自称すれば先見の明があったのではないかと思っております。 [アジアの友INDEX|今月号目次|前頁 | 次頁 ] |